賣茶翁、若冲、大典僧侶

仙台にある、賣茶翁という老舗の和菓子屋さん。ふわサクな「みちのくせんべい」というお菓子が有名。これを仙台にゆかりのあるYご夫妻から頂きまして、賣茶翁ヘと繋がるのでございます。

売茶翁「ばいさおう」と読みます。お茶を売る翁(おきな)という意味のあだ名のようなもの。煎茶を広めた人。千利休が侘び茶の祖・茶聖と称されるのに対し、煎茶の祖・茶神と呼ばれるのが高遊外売茶翁(1675-1763)です。 その昔、お茶は薬として珍重された時代があり、身分の高い人の飲み物でした。売茶翁は、上流階級の文化だった喫茶の風習を庶民にまで広めた人。60歳を過ぎてから売茶の業を始め、 京都鴨川のほとりには、”日本初の喫茶店”ともいわれる「通仙亭」という茶店を構えました。「茶銭は黄金百鎰より半文銭までくれしだい。 ただにて飲むも勝手なり。ただよりほかはまけ申さず。」 (訳:お茶の代金は小判二千両から半文までいくらでもけっこう。 ただで飲んでもけっこう。ただより安くはできません。)これは売茶翁が煎茶を売る時に掲げた言葉、ユーモアある人のようです。

 

美味しそう!食べたい!

そして、検索して見ていたら、なんと、若冲とも縁がある。京都の青物問屋の長男として生まれた伊藤若冲(1716-1800)。絵筆を握ることしか頭になかった江戸時代の絵師。売茶翁とも関わりが深く「売茶翁なくして若冲なし」と言う研究者の方もいるようです。

そして売茶翁と大典の交遊が、売茶翁と若冲を引き合わせたのではないかと言われています。禅に傾倒していた若冲は相国寺に一時身を寄せており、大典僧侶は若冲の支援者でした。大典は、禅僧、漢詩人。

もう1つの可能性としては、売茶翁の茶席で、若冲は大典と出会ったのかもしれません。今となっては真実は分かりませんが、茶がつないだ縁と言うのも、1つの歴史のロマンです。若冲は売茶翁の肖像画を何度も描いています。心から敬愛していたのかもしれません。以前「ライジング若冲」NHKで放送したので覚えています。

ブログの始まり

2020.9.20.アディHP再開、2020.9.21.見えるラジオ#25、この2つが新しいブログの始まりでした。アンサンブル・アディの旧サイトの最後のブログは「2015.8.12.夏野菜は最高」で終わっています。

新しい、と言いますが、旧サイトとも関係のある方にお願いして、新しいブログをやりたい、と始まったのです。

チェンバロではなくピアノ弾きになった私はイラストも変えてもらいました。立派な旧サイトはそのまま置いてもらい、新しい、でも書く人の中身は一緒のブログが始まりました。

次の年3月から「井田山通信」はチョロチョロとスローペースで始まりました。去年は1回しか書いていない月もありました。

パディントン駅

実はロンドンにいる知り合いのご夫婦が🎅さん、パディントン・ベアを送ってくれたのです。ご主人がモーツァルトをいつも弾いていたを知っていたので、私も大好きな「モーツァルト/幼少時代・ロンドン楽譜帳」という楽譜を送ったら、パディントンが我が家にやって来たのです!     小さい時のモーツァルト、お父さんレオポルト、ナンネル姉さん、まだまだ知らない事ばかりです。

ロンドンのパディントン駅🚉です。

架空の熊のお話し。パディントン駅で古ぼけたスーツケースの上に座っているところをブラウン夫妻に発見された熊🧸。彼のコートには「このくまをよろしくお願いします」(”Please look after this bear. Thank you.”)と書かれた札がついていた。

うちのパディントンにも付いてるよ!

鯔背、読み方わかりますか?

家から一番近いコンビニに売っている日本酒🍶に書いてあった言葉、”粋で鯔背なお酒です”。江戸の言葉。い、な、せ、と読みます。

いなせとは、江戸時代の江戸における美意識のひとつで、若い男性を形容する言葉。男気があり粋であり、心意気のあること。また、威勢がよく、さっぱりしていて粋 (いき) な気風。 勇み肌。その容姿やそういう気風の若者を指すこともある。江戸後期、江戸日本橋の魚河岸の若者たちが結ったまげの事も言います。

金沢の福光屋のお酒🍶美味しい水、お米が、お酒には大事。

1/6雪、☃️、どんどん降り、夜にはこんな!

雪かきしても次の日は凍結!困る事がいっぱい!

手前は28日に頂いたお花が❄️雪でこんなに垂れ下がる!

外に置いておくと長持ち長持ち!頂いてから2週間になる花束💐。